日本酒

漫画「獺祭」の挑戦 山奥から世界へ

著者は漫画家の弘兼憲史さん、編集は鈴木七沖さん

漫画「獺祭」の挑戦 山奥から世界へ を、読みました。

 

獺祭さんといえば、純米大吟醸 二割三分をつくったことで有名

搾り方もいろいろ試みられ、高価な遠心分離機を使うことでも知られています。

1984年に旭酒造3代目社長として就任した桜井博志さん(現在は会長を務め、社長は息子の一宏さん)

日本で最も酒米「山田錦」を使う酒蔵と言われ、全国の山田錦生産農家さんへの支援の力を注ぎます。

お酒は、クリアー感が冴える軽やかできれいな味。

それまで、日本酒を飲まなかった人たちが、こぞってファンになったのです。

なぜ「獺祭」は日本酒の常識を破って、世界中で成功できたのか?

どれだけの失敗を乗り越えてきたのか

桜井博志さんの口癖は「ピンチはチャンス!」 

そのことが、えっここまで!? というくらい、細かく描かれています。

博志さんは、大学卒業後、大手酒造会社に就職。その後、父が社長を務める旭酒造へ入社したものの折り合いが悪く、会社を辞めて別の仕事へ。

その後、父が急逝し、蔵へ戻ったのです。

 

ですが、戻ってみると蔵は借金だらけ。

当時の社員は、できない理由をのべるだけ。

挑戦しなければ道は拓けないのだ!

バカと言われようと

挑戦するしかない

杜氏がやめ、蔵人もいない

社員での四季醸造へ舵を切り、

問屋との付き合いもやめてしまいます。

そんな業界の常識を、次々と打ち破って・・・

 

酒造業界だけでなく、ヒントがいっぱい詰まった一冊です。

商品の転売が続き、業を煮やして出した初の新聞広告も掲載

漫画だけでなく、日本酒事情や知識なども、盛り込まれています。

これまでにない「獺祭」を造る試みも

最高を超える 山田錦プロジェクト

獺祭の酒米 山田錦450g(3合)

山田錦のお米も販売しています。水分量は、ちょっと少なめとありますが、炊飯器の目盛り通りで良いと思います。

ノンアルコールの「麹仕立て 獺祭 甘酒」は、山田錦の等外米を使用しています。

手洗いすることで水分含有量をコントロールする

洗米は、少量ずつ

麹室の様子

製造量が増えると、一度に大量に仕込みたくなるものですが、獺祭では一度の量は変えず、回数を増やして対応

成功する獺祭さんのような酒蔵がありますが、日本酒業界は、今も廃業する酒蔵が増えており、蔵数は減る一方です。

スーパーの酒売り場を見たらわかるように、多くの人が飲んでいるのはチューハイなどの炭酸系!

そんな中、どうしたら未来があるのか? 

ピンチはチャンス!

 

弘兼憲史さんは桜井博志さんと同じ山口県出身、今までもお付き合いがあったそうですが、改めて取材を繰り返したとのこと。そしてこの本は、ベテラン編集者の鈴木七沖さんの編集力が光っています。

今までと、これからの 獺祭がよくわかる一冊です。

  

 

◉8月19日の桜井博志さんのメールマガジンにこの本について書かれていたので引用します
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読売新聞8/18の朝刊からリレー連載の「時代の証言者」コーナーで私個人のこれまでの恥多き人生と、これも失敗続きの経営者人生が28回連載で掲載が始まりました。最初の第一回はニューヨークの酒蔵の話から始めて「超」かっこいいのですが、しかし、(このメールを読まれているタイミングですと、すでに二回目以降も掲載されているでしょうからご存知の通り)、それ以降は「超」かっこ悪い!!のです。

この周囲に翻弄されながら、勉強やスポーツに一生懸命努力したとはとても言えない、決してかっこいいとは言えそうにない、私の、(何度も言いますが)かっこ悪い子供時代から青年時代が今の私の基礎になったわけですから・・・・・まあ、機会があれば読売新聞を手にとってみてやってください。(インタビューに答えながら、「こんなに全てあからさまに話してしまうと企業イメージにかかわるかな?」と、頭をよぎりました)

そして、これと軌を一にするように先月から弘兼憲史先生作の漫画「獺祭の挑戦」が刊行されました。アマゾンのランキングで見たら総合85位。海外からの現地出版依頼も数件来ているようです。こちらは掛け値なしに面白い。

あの「会長 島耕作」の作者が描く獺祭の話です。こちらは私が酒蔵を継いでからの話ですから、失敗続きの経営者人生から始まっています。さすが弘兼先生、そのあたりの勘の鋭さは大したものです。自分でも忘れていたその場面あの場面における私や周囲の関係者の感情の揺れや心のひだをすくい上げて、まるでその場にいたかのように描かれています。

昔は他の酒蔵が見学に来た時など、良く、「うちを見れば自信を持てますよ」「こんな山の中で、山口県は酒どころでもなくて、『山口の酒』の県外からの評価は最低だったのに」「しかもその山口県の中でも負け組で、普通酒しか造ってない僅か7百石の酒蔵だったのに」「今は県外の都市市場に活路を見出して何とか生き延びている」「だから、こんな悪条件の酒蔵でもやっていけるんだから皆さん大丈夫ですよ」と、言ってました。

そんな失敗だらけの、でも、「頑張らないけどあきらめない」、その時はそう言うしか手がなかった、そんな恥多き経営者人生。ちょっと覗いてみてください。